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2007年08月14日 (Tue)

伝わるものか?

 「躾」と「虐待」の違いについて、
 複数の保護者が思い思いの意見を書いているのを見かけました。

 わたしは、
 この手の話題に関しては、
 容赦なく「暴力否定派」です。
 理由が何であれ、「叩くのはNO!」です。
 そして、ついでに言えば、
 「躾」と称して子供を叩く人の言い訳あれこれに対して、
 納得することはありません。

  「あなたはそうなんですね。
   でもわたしはそれを正しいとは思いません」

 というスタンスでいます。
 
 子どもを叩くか叩かないかという選択に関しては、
 個々人が育ってきた環境や育児論が関係しますし、
 場合によっちゃ、人の人生すべてを否定しかねない。
 このテの議論が、
 体罰容認派と否定派で噛み合う筈もないと思いますし、
 言い争っても仕方ないしなぁ...と、
 このテの議論を見かける度に思うのですが、
 その度になんだかとってもイヤな気分になるのも正直なところ。

  要は、見なきゃいいだけの話なんだけどなぁ...。

 などと思いつつ。


 時々見かけるのですが、

  「愛情を持って叩くのと、そうでないのとは違う」

 という意見があります。
 そりゃそうだと思います。
 でも、愛情があるなら叩く必要はないんじゃないかとも思います。
 ...いえ、愛情が無いから叩いて良いとか、
 叩くのは愛情が無い証拠だとか、
 そういうことを言ってるんじゃありません。
 
 叩かなくても伝えられる方法はあるでしょう、と。

  「愛情を持って叩くのは、虐待じゃない」

 という意見もよく見かけます。
 
 ではその「愛情」は、
 叩かれる子どもに、ちゃんと伝わっているのだろうか。
 ...と、わたしはよく思います。
 
 愛されているという事実と、叩かれるという事実が、
 ちゃんと子どもに関連づけて伝わっているんでしょうか。

  「愛しているから、叩くんだ」

 ...なんかおかしな論理展開だ。
 と思うのは、わたし個人のお話ですが。

 この主張で真っ先に思い浮かぶのが、
 DVで妻に暴力を振るう夫の姿です。
 ...あ。あくまでわたし個人のイメージの世界です。
 そしてやっぱり思うのです。
 なんかおかしな論理展開だ、と。



【More】


 わたしは、容赦なく叩かれる環境で育ちました。
 その暴力の中で、
 大人からの愛情を実感できたかと問われたら、
 躊躇なく答えます。

  NO

 と。

 残念ながら、受ける暴力から愛情は感じられませんでした。
 それは単純に暴力でしかありませんでした。

 長い長い時間を掛けて、人生をやり直して、
 ここ数年はちゃんと、
 受けてきた恩恵の数々に対して感謝できるようになりました。
 ひとりの人間が、
 わたしを愛してくれたり、わたしに暴力を振るったり、
 そんな両極端の中で、
 ひとりの人間をちゃんと統合するのに、非常に苦労しました。
 
 どちらもその人に違いは無くて、
 どちらも確かに存在していたのですが、
 そういった両極端な環境は、
 子どもの生活を足もとから揺るがすのに、
 十分過ぎるほどに危険なものでした。

 わたしは、確かに愛されていたのだと思います。
 でも、理不尽な暴力もたくさん受けました。
 そこからは愛情を感じられませんでした。
 愛してくれる人と暴力を振るう人が同一人物なのに、
 暴力を振るう人は般若のようでした。
 愛されているから叩かれるのだなんて、
 とてもそんなことは思えませんでした。

 だから、子どもを生むとき、誓いました。
 わたしは絶対に子どもを叩かない、と。

 
 愛していれば、叩いても許されるだなんて、
 そんな理屈は、わたしは使えません。
 暴力を振るう時、その人の中に愛情なんてありません。
 あるのは、怒りや恥ずかしさ、悔しさ、情けなさ、悲しさ...。
 叩かなければ伝わらない愛情なんて、ある筈が無い。
 叩くその瞬間、
 叩くその人は、自分の感情に飲み込まれているだけです。
 愛情云々は、後からくっつけただけに過ぎない。


 叩かれて育った子供が、皆、
 後々の人生を苦しんで過ごすわけではありません。
 自分を叩いた人との間に、
 確実な信頼関係を築けていたなら、
 叩かれた痛みは残っても、やがて乗り越えていけるでしょう。
 でもそれは、
 暴力を受けた子ども側が決めること。
 暴力を振るった大人が、
 目に見えない「愛情」を盾にするのは、
 おかしな話だと思うのです。


  「叩かれずに育った子は、叩かれる痛みを知らないから、
   人を簡単に叩く子になる」

 そう主張する人もいます。
 でも逆に、

  「叩かれて育った子は、叩くことしか表現方法を知らないから、
   人を簡単に叩く子になる」

 とも言えるのかもしれません。
 いえ、叩く・叩かないを選択するのは、
 その子自身です。
 叩かれる中から、叩かれない中から、
 その子が何を受け取って育ってきたか、によるのです。
 叩かれなければ他人の痛みが分からないなんて、
 そんな筈はありません。
 叩く行為、叩かれる行為の痛みや苦しみを教えるのも、
 親の仕事でしょう。
 そこに実際の「力の行使」が無くとも、
 教えることは可能です。

 わたしは、そう考えています。



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