2018年06月/ 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

構成員紹介

新着記事

新着一言二言三言等

新着関連記事(他ブロガーさんより)

ベビベビ点取り占い

小学生編点取り占い

話題別過去記事収納庫

FC2ブックマークに追加する

ブロとも申請フォーム

--年--月--日 (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
編集 |  --:-- |  スポンサー広告  | Top↑

2005年11月09日 (Wed)

長男@短髪

 *natto@歯痛継続中*

 5回分の鎮痛剤(頓服)を、2日間で消費仕切る勢いでございます。
 化膿止めの内服薬も飲んでいますが、
 右側の顎の下を触ると、明らかにリンパ腺が腫れています。
 「悪いバイ菌が歯茎についていたら、化膿止めが効かないかも」
 と歯科医に言われていましたが、
 もしやそうではと、イヤな予感がますます強まりつつありますよ。
 
 明日、歯医者で痛み止めだけ追加処方してもらいます。
 (診察は来週。。それまでに悪化しなければいいけどなぁ)


 *長男@学校*

 先日のこと。
 長男が、自分で自分の髪の毛を切りました。

 その日の連絡帳には、担任からこのような記述がありました。

 『授業中、ハサミで自分の前髪を切っていました。
  注意しましたが、その後も切っていました。』

 その日、仕事の都合で帰宅が遅くなった私が長男と対面したとき、
 彼は既に夫と共に床屋に直行した後で、
 かなりこざっぱりしておりました。
 それでも、まあ、小学一年が自分でジャキジャキと切ったので、
 床屋に行ってもカバーし切れないほどに短く地肌の見える部分も
 残存しておりました。

 私も夫も、内心ガックリでございましたよ。


 *自傷とは*

 実は長男が自分で髪を切ったのは、これが二度目です。
 1年弱前にも、親が目を離した隙に、
 ザックリと自分の髪を切っております。
 
 そのことを、長男の診察をしている医者に話したところ、
 こう言われました。

 「一種の自傷行為ですね」

 当初、悪ふざけの延長だと認識していた私と夫は、
 この言葉に大変驚いたものでした。
 
 長男とは別の種類の疾患の子ども達が、
 自分の意志を思うように伝えられなかったとき、
 例えば頭を壁にぶつけたり、自分の身体の一部を傷つけたりする、
 そういうことが起こるという認識は、私も持っていました。
 そういう行為が、いわゆる『自傷行為』だと認識していました。

 一方、自分の髪を切る、というのは、
 出血も痛みも伴わないものであり、
 『おふざけ』でやったようなイメージをもたらします。

 しかし、その後、複数の専門家の方と話す機会に
 長男のこの行動について尋ねたところ、
 大方の見方は、やはり一致して『自傷行為』でした。

 そうしてしまった長男の中に、
 一体どんな思いがあったんだろうとつらつら考えておりました。
 その時期に何か強いストレスを感じさせる出来事があっただろうか、
 何か普段と違ったことがあっただろうか、
 振り返ってみましたが、思い当たることがありませんでした。

 そして思い出したのが、
 以前、担任の先生と長男の行動について話し合ったときに、
 先生の口から出た言葉でした。

 「長男くんは、
  ぼくを見て、ぼくのことを認めて、という思いが
  とても強いお子さんですね」

 ・・・もしかしたら、長男は、
 先生に注目してほしかったのかもしれない。
 だから、授業中に髪を切ったのかもしれない。

 そう思うに至りました。

 私は素人なので専門的なことは分かりませんが、
 一般的に『自傷行為』と呼ばれる行為の背景には、
 「自分のことを見てほしい」
 「自分のことをわかってほしい」
 という願いが込められているような気がします。
 そういった行為自体には痛みも伴う筈ですが、
 それほどまでに認めてもらいたい自己というものが
 存在しているように思います。

 長男の「髪を切る」という行為の背景に、
 「ぼくのことを見てほしい」
 「ぼくのことをわかってほしい」
 という願いがあるのなら、
 大人はそのように対応しなければならないと思うのですよ。


 *学校に求めるもの*

 言うまでもなく、学校は勉強をするところであり、
 教師は勉強を教える人です。

 クラスに30数人の子ども達がおり、
 それを一人の担任がまとめていくとなれば、
 「我が子にだけ特別な注目を」
 「我が子にだけ特別なケアを」
 と求めるのは、酷ではないかと思います。

 更に言えば、
 教師は、教育のプロではあっても、
 こころの問題のプロではありません。
 
 『教育』という言葉には、
 子どもを人間的に成長させる意味も含まれるのですが、
 教師の仕事のメインは、
 勉強を教えることなのでしょう。

 子どもの精神的なケアは、
 主に家庭が担っていくわけです。
 (家庭だけで担いきれない場合には、専門家も加わりますが)

 でも、思うに、
 子どもが学校で過ごす時間は、
 子どもの睡眠時間を除いて計算した場合、
 子どもが家で過ごす時間とほぼ等しいわけです。

 家庭で十分にエネルギーを補充して
 学校で過ごすことのできる子どももいれば、
 家庭と学校との双方でエネルギーの補充が必要な子どもも、
 いるだろうと思われます。
 
 どの程度でエネルギーが満タンになるのか、
 個人差にもよるのですが、
 原則は「その子が必要なだけ与えてあげる」、
 これに尽きるでしょう。

 ・・・いえね、
 この点に関しては、時折私も思うのですよ。
 「長女はこれで満足するけれども、
  長男はこれでは物足りないんだよなぁ・・・」
 その差はどこからくるんだろうと思ったりもしますが、
 そんなことをグダグダ考えているよりは、
 足りないんであれば、足りるまで与えてあげるしかないと。
 そう思って日々頑張っている次第です。

 しかしながら、
 児童生徒は、教師の実の子どもではありません。
 親だからどうにか頑張れることも、
 教師には無理かもしれません。

 「先生なんだから、何とかしてよ」
 というのは、時として傲慢な要求となり得ます。

 長男には、学校でのエネルギー補充が必要だ。
 そう感じていても、
 それを担任に要求することにためらいを覚えます。

 しかし、
 小学校一年生に対して、
 「こころの教室」は解放されていません。
 (「こころの教室」とは、
  学校には来られるが教室には入れないという子どもが、
  専門の先生と一緒に遊んだり学んだりする教室です。)
 授業と授業の合間にも「こころの教室」は利用できますが、
 外遊びに夢中な小学一年生が、
 わざわざ遊びの時間を削ってそこに行くことも
 余程でない限り無いでしょう。

 となると、
 長男の行く場所は、何処に?


 *児童のサインに対して*

 髪を切るという行為が、
 仮にもっとわかりやすい自傷行為であった場合、
 教師は何らかの対応をするのかもしれません。
 
 たとえば壁に頭を打ち付けるとか、
 手の甲を強く噛んで出血するとか。
 そういった行動であった場合、
 教師はそれを強く制止するでしょう。
 
 しかし、
 髪を切るだけであれば、
 ぱっと見、身の危険はありません。
 頭皮を切ることがない限り、
 痛みもないし、危険もありません。
 「やめなさい」の言葉で制止し切れなくとも、
 その行為自体を「問題行動」と捉えるとこまでには至らないのです。
 見方によっては「悪ふざけ」ともとれる行為は、
 ある時には無視という対処の仕方もあるのでしょう。

 ただ、
 それが『自傷行為』であった場合、
 そうまでして、自分を見てほしかった子どもの気持ちを思うと、
 切なくなります。

 たまたま、私は、専門家に相談していたから、
 これが『自傷行為』だと知ることができました。
 そうでなかったら、『悪ふざけ』と思っていたかもしれません。

 無視されるくらいなら叱られたほうがまだマシ

 そう思う子どもの心を想像すると、
 学校への働きかけが必要なのだろうと思います。

 いかに冷静に、客観的に、
 学校側に長男の状態について説明するか。
 単なる「過保護で心配性な母親」と思われないように、
 長男が、必要とするもののすべてとはいかなくとも
 8割方は得られて、学校で生活していけるようにするために、
 「戦略」が必要です。
スポンサーサイト
編集 |  01:06 |  考察  | TB(0) | CM(0) | Top↑

コメント

コメントを投稿する

URL
コメント
パス  編集・削除するのに必要
非公開  管理者だけにコメントを表示
 

トラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

 | HOME | 

自由空間

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。